僕が「キャンプ」というものに出会ったのは、この父親のおかげだ。
少し歳の離れた兄と僕の兄弟は、小学校に上がる前から
父親に連れられて、毎年のようにキャンプに出かけていた。
記憶する限り幼稚園の頃からキャンプにでかけていたのだから、
物心ついた自分からキャンプに出会っていたといっても間違いではないだろう。
中学生になり陸上を始めた頃から回数は減ったものの
それでも大学生までは、たまに家族でキャンプに出かけたものだ。
静岡県の御殿場という田舎町に暮らしていた我が家から
車で小一時間の丹沢渓谷がキャンプの指定地だった。
今でこそ、富士山の見えるキャンプ場に好んで出かける僕だが、
当時は毎日のように目にする富士山は生活の一部であり、
非日常を求めるキャンプにはそぐわない存在だったのかも知れない。
しかも、キャンプ場などには行ったことがなく
いつも渓谷への急坂をくだり、川原で野営というのが
わが家のキャンプスタイルだった。
山道に留めた車から、重い荷物を担いで急坂を往復する作業は、
幼い子供にとっては、とんでもない苦行であった記憶がある。
しかし、一度川原にベースキャンプを設営してしまうと
そこはプライベートリゾートに早変わりするのだ。
川原での数日間、毎日のように水に潜り、魚を追い、川を流れ、
遊び疲れたら大きな岩の上で昼寝をして過ごした。
川原の石で造ったかまどで焚火をし、肉を焼いて食事をし、
川原に穴を掘った便所で用をたした。
そんな僕達を見ながら、父親は一日中酒を飲み、愉しそうに過ごしていた。
大学を出て東京に就職した僕は、それ以来キャンプから遠ざかった。
なぜかはわからないが、あの素晴らしい時間を長い間忘れてしまっていた。
そんな僕が、今娘たちを連れてキャンプにハマっている。
一緒に遊び、食事を作り、焚火を囲んで語らい、テントで寝る。
そこには、長い間忘れていたあの素晴らしい時間を取り戻すことに
必死になっている自分がいる。
今思うと、あの頃の父親は子供達のためではなく
自分のためにキャンプを楽しんでいたのではないだろうか。
そして娘達から見ると、きっと僕も
「子離れできない典型」なんだろうなぁ、と思う。
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